セーブポイント

日常の記録や、趣味についてなどを書いてます

『多和田葉子「犬婿入り」の読書感想』

こんにちは、三角やまです。
今回はゲーム攻略ではなく、読書感想文を掲載します。
基本的にゲーム日記のつもりで始めましたが……せっかく読んだので感想をば。

 

私が今回読んだ『犬婿入り』は多和田葉子先生の作品です。
多和田先生は東京都出身の作家さんで、早稲田を卒業、ハンブルクの大学で修士課程修了、チューリヒ大学で博士課程修了という学歴の方。
「かかとを失くして」で群像新人文学賞を受賞してから、芥川賞谷崎潤一郎賞など、それはもう様々な賞を取られている方です。
次、日本人でノーベル文学賞を取るのは、村上春樹さんではなく、この人ではないかとも言われています。

 

わたくし、大学を出てからすっかり読書の習慣がなくなりまして……
読んでも素人が書いたライトノベルとか、そういうサクっと読めて理解しやすいものしか読んでなかったので(ライトノベルを批判している訳ではありません。どの方のどの作品も楽しく読ませていただいてます)
なかなか、理解に時間がかかりました。もちろん、読みやすくてきれいな文章です。
社会的なメッセージ性の強い文学作品は、どうしても読後に、

 

「あれ?ちょっと待てよ、これで終わり?う、うーん…どういう意味だ。もう一回最初から……」

 

って感じで読み返してしまう高嶺です(単に頭が悪いだけかもしれないけどね)
上手く言えないけど、そのメッセージを直接的に訴えかけてくるのではなく、登場人物を通して遠まわしに私達に伝えてくる、あの感じ。
すべての台詞、キャラクターの行動がなんらかの意味をもつ、あの感じである。
しかし私は、「作者の意図をきちんと理解しているか」にこだわって読書をしていないので一生理解できなかったとしても構わないのだけれどもね。
読書は模試じゃないからね。結局、大事なのは読み手が何を感じたかってことじゃないかと思います。

 

前置きが長くなりましたが、上記の言い訳を踏まえた上で私の読書感想に移りたいと思います(きちんと理解してるかと聞かれれば、それはできてないと断言できます(^^;))

 

「『犬婿入り多和田葉子 講談社文庫 1998.10.15 (460円)」は、「犬婿入り」以外に「ペルソナ」という短編も収録されています。
ただ、そちらは与那覇恵子先生の「<間>をめぐるアレゴリー」で細かく解説されておりますので割愛します。
ドイツの大学で”ドイツ文学”を学ぶために弟とドイツで暮らしている姉”道子”が主人公。”私達は何をもってして日本人なのか”ということを考えさせられるお話です。
気になる方は是非、買って読んで下さい。

 

さて、問題の「犬婿入り」ですが、実は「ペルソナ」よりも短い作品になっています。
こっちに関しては解説も少ないように感じたので、私なりに感想を書いていきたいと思います。

 

この物語の主人公は、塾を営む”北村みつこ”という少し変わった女性である。
”キタムラ塾”は東京郊外の街(南区)と新興住宅の団地(北区)との間にあり、取り壊す予定だった住居を、フラッとやってきた”みつこ”が住居兼塾として腰を置いている。
ユニークと称するには少々無理がある”みつこ”はいつも公団住宅の親たちの噂のタネであった。

 

その”みつこ”の家に突然やってきた、”太郎”と名乗る男は、どういうわけか”みつこ”の家に住み着き、決まった時間に出かける以外は家事をしたり、”みつこ”と交わったりする。
気になるのがこの男、”みつこ”と共にいる時は一言も喋らない。最初だけ「お世話になります」といい、自己紹介すると「電報は届きましたか?」という意味深なセリフを最後に喋らなくなる。
”みつこ”も何も言わない。

 

話が進むと、男の正体が明らかになる。偶然、キタムラ塾にかよう子供たちの親”折田夫妻”が男を知っていた。
”太郎”の本名は飯沼太郎。ちょっと神経質なところのある変わった青年で、会社員だった。
妻の良子とのデート中、複数の野犬に襲われてから、おかしくなってしまった。祖母の「この子はもうダメだ、悪いモノに憑かれた」という台詞から分かる様に、この時、”太郎”は飯沼太郎ではなくなった。
ちなみに妻、良子は”飯沼太郎”じゃなくなった”太郎”につりあう妻になる為に修業をしているうちに執着がなくなったらしく、蒸発した”太郎”を探そうとはしていない。加えて”みつこ”に「電報を受け取ったのか」と、”太郎”と同じような質問をする。

 

では、異類婚姻譚のように、犬が”みつこ”に婿入りしたのかと問われれば、微妙である。
”太郎”は最後、松原利夫という男と旅に出てしまうし、”みつこ”は塾に通っていた松原利夫の娘と夜逃げする。
それに、”みつこ”は電報を受け取ってない(この「電報」って一体何なのか、とても不気味である)

私は先ほど主人公は”北村みつこ”だと書いたが、それは誤りかもしれない。
というのも、”みつこ”を主人公にして読むと、よく分からない最期を迎えてしまうからだ。
北区と南区の狭間にある”みつこ”の家に犬が婿入りした。たんにそれだけの話だったら、ここまで理解に苦しんでない。

 

私は、この物語の主人公は公団住宅に住む子供たちやその親たちなのではないか、と思う。
その代表格として位置づけられてるのが”折田夫妻”かなと。あくまで私個人の読み方ですが…。

 

公団住宅は30年の文化があり、伝統がある。そんな中で、物語の前半は奥様達の噂の描写が殆ど。物語中盤にさしかかったところでようやく、”折田夫妻”という少しだけ首を突っ込む一般人が現れる。
団地に住む奥様達や子供たちという共同体の中では”みつこ”、”太郎”、”良子”、”松原親子”は異質なものとして扱われている。

 

団地で異類婚姻譚の噂が飛び交い、その後に急に現れた”太郎”。
”太郎”を一目見ようと野次馬にきた奥様達の中に偶然”折田夫人”がいて彼女が”みつこ”と”良子”を引き合わせる。
その後、”太郎”と”松原利夫”の夜遊びが噂されるようになり、結果、その二人は旅に出てしまった。
この時、”太郎”は”みつこ”ではなく”折田夫妻”に「お世話になりました」と言い残して去ってしまう。
”みつこ”は後日、”折田夫妻”に夜逃げの電報を送る。塾は取り壊されてマンションが建って「犬婿入り」は幕を閉じる。

 

そう、”太郎”と”みつこ”の間には何もなかったかのように、終わるんですよ……


物語が奥様達や”折田夫妻”視点で語られているんじゃないかと思ったのはこれが原因です。
共同体に属さない<異質>なものは恐怖の対象である以上に好奇心を満たしてくれる存在だが、結局のところ今の私達には”それだけでしかない”。そんな皮肉が込められているようでした。
それでも、共同体から弾かれた”太郎”や”みつこ”のような存在は、口承される都市伝説と似て、時とともに形を変え、それでも人々から忘れ去られることはないのだと思います。
誤解のないように記しますが、この作品はホラーではありません。言葉や表現がとてもユーモラスで、読後は何とも言い難い奇妙な感覚に包まれる、そんな作品です。

 

那覇恵子先生の解説では、多和田先生のお話は言葉が一つの生き物として人格となって表現されていると書かれています。
多和田先生の作品に対して「あらゆる文学に対して革命的」という与那覇先生の表現はとても秀逸だと思います。
ノーベル文学賞候補の一人として名前があがるくらいのお方なので、このブログを最後まで読んで下さった人も、是非読んでみてください。
このブログが良作を手に取る機会になればと思います。